【2024注目の逸材】
なかき・たつや中木辰弥
[滋賀/6年]
かさぬいひがし笠縫東ベースボールクラブ
※プレー動画➡こちら
【ポジション】投手、中堅手、一塁手
【主な打順】三番
【投打】左投左打
【身長体重】163㎝62㎏
【好きなプロ野球選手】大谷翔平(ドジャース)、王貞治(元巨人)、金田正一(元巨人ほか)
※2024年6月18日現在
学生野球の聖地「神宮球場」は、野球少年の大きな憧れのひとつ。所在地の東京から遠くなるほどに、その傾向は強くなるのかもしれない。
「小学生の甲子園」こと全日本学童大会マクドナルド・トーナメントも、神宮での開会式がおなじみだ(※来年度は新潟県開催)。昨年の12月には、ポップアスリートカップの全国ファイナルトーナメントも同球場が舞台に。滋賀県の笠縫東ベースボールクラブは、自主対戦方式の長い予選を突破し、関西第二代表としてファイナル初出場を果たした。
1回戦で夏の全日本学童覇者・新家スターズ(大阪)に2対9で敗北。だが、同大会も制して年四冠に輝くことになる絶対王者に真っ向から挑む姿が印象的だった。1回表に2点を先制し、4回までは4点差の勝負を展開した。
2023年12月9日、神宮球場でのポップアスリートカップ全国ファイナル。当時5年生の中木は1回戦に二番・一塁でスタメン出場
「神宮は今までやってきた球場と景色もぜんぜん違いました。スタンドが広くて青くてきれいで、打席に立つとピッチャーマウンドからオーラみたいなものを感じて、緊張してしまいました」
試合後、にこやかに感想を語ったのが5年生(当時)で唯一、メンバー入りしていた中木辰弥だった。
二番・一塁でスタメン出場。第1打席は四球を選ぶ(=下写真上)と、日本一バッテリーから二盗を決め、続く渡部叶成(現・守山シニア)の中越え二塁打で先制のホームを踏んだ。3回表の第2打席は右方向へ、ヒット性の強い当たりを飛ばした(=同下)。
「体がデカくて、サク越え(本塁打)ばっかり。生意気? ぜんせんです! めっちゃ良い子ですよ、素直で」
中木ついて話してくれたのは、先制打を放った1学年上の先輩。その評価を聞くまでもなく、試合中から人間性のおおよそを読み取ることができた。
第2打席後、3回裏の守りから中木はベンチへ。「簡単に出られない大きな大会、神宮でのプレーもなかなかできることではないので、6年生をみんな出してあげたかった」とは、試合後の中原亮一監督のコメント。結局、体調不良者と自分の愛娘だけはプレーさせてやれず。あとは全員を聖地のフィールドに送り出した。
背後(右)にいるのが中原監督。現在は総監督となっている
指揮官のそんな複雑な胸中までを知ってか、知らずか。交代した5年生は懸命に先輩たちを鼓舞し続けた。途中から出る選手のキャッボール相手を率先して務め、ベンチ中央の最前列から時には身を乗り出すようにして声を張り上げていた(※プレー動画内参照)。
「野球はチームスポーツで、どれだけ負けていても、最後のアウトを取られるまでは勝負は分からない。そういうところが醍醐味だなと思っています。自分のセールスポイント? 例えば、ピッチャーではノーアウト満塁から3連続三振とか、バッターでは追い込まれても粘ってホームランとか。そういう粘り強さが自分の一番良いところだと思います」
通算27本塁打のパンチ力に、160㎝に迫る高身長(当時)。すでに中学生並だったが、理路整然とした受け答えも5年生とは思えないものだった。
坂本龍馬旗争奪西日本大会の県予選は準優勝(2月24日)。仲間の本塁打も自分のこと以上に喜ぶ姿が印象的だった
年が明けて2月の下旬。夏の西日本大会の予選となる県大会の準決勝・決勝で再開した中木は、変わることなく、笑顔にあふれていて健気だった。
試合前の練習から楽しそうに全力で投げたり打ったり。試合中は対戦相手や審判にも敬意を払いつつ、仲間たちを懸命に鼓舞。前向きで明るいチーム、そのムードづくりにも貢献していた。
「同級生でボクだけ全国を経験させていただいたので、今年はみんなとまた行きたいし、先輩たちができなかった全国制覇もしたい。粘り強いチームなので最後まで諦めないで戦えば、また神宮も行けると思います。だから、自分が打てなくても誰かが打ったら嬉しいし、一緒に喜べるんです」
世界の王に憧れる理由
勉強も好きだという中木は、プロ野球の往年の大スターの自伝なども読んでいる。
「どんなに厳しい状況でも、努力を続けられたのがすごいと思います」と、特に感銘を受けたレジェンドが2人。世界のホームラン王の王貞治氏(ソフトバンク取締役会長)と、400勝投手の故・金田正一氏(元巨人ほか)だ。
現在はコーチも務める父・豪さんは、東京育ちの野球経験者。一粒種の中木が物心つかないうちから、屋内で新聞紙を丸めたバットとボールで野球ごっこをして遊んだという。
「3歳くらいから外でもやるようになって、幼稚園のころには普通に上から投げられたボールを打ち返してました。なので、たまに息子が打てる理由を人に聞かれることがあるんですけど、『数です!』と答えています。圧倒的な量、バットを振ってきてますからね」(豪さん)
2024年は半年経たないうちに20本以上の本塁打。状況によって逆方向へ意図して打つことも
就学前から続けているスイミングは、本人の希望から始めた。野球のほうは半ば必然的に1年生でチームに入ると、父子の「野球ごっこ」が「特訓」に変わった。「めちゃくちゃ厳しいです」と中木が苦笑いすれば、父も否定せずに低学年時代をこのように振り返る。
「ボクに怒られて、泣きながらバットを振っていることもありました。思うように打てない、できないジレンマでまた泣いて、でもそれでもやめずに振ってましたね」(豪さん)
現在はチームの活動は月金と土日の週4日。火水はスイミングで、唯一フリーとなる木曜は自ら練習をしているという。
「お父さんがいろいろ学んでプログラムしてくれたトレーニングメニューを100回ずつこなしてから、シャドーピッチングをして素振りか、バドミントンの羽根打ちをしています」
マウンドへは救援で上がることが多い。角度と球威のあるストレートで打者を押し込む
反抗したり、道を外れることもなかった。素直さや熱さも違和感なく自然。人から強制されると生じる息苦しさのようなものは感じない。生まれ持ったDNAもあるのだろうが、父は野球の技術だけを息子に叩き込んできたわけではないという。
「感謝の気持ちと挨拶。これだけは幼いころから言い続けてました。将来についても、感謝の心を持った大人になってほしい。それだけです」(豪さん)
全国2大大会の夢破れ
全日本学童と、スポーツ少年団交流大会。チームはともに予選の草津市予選決勝で敗れ、夏の夢舞台への道は5月までに消えてしまった。
最速107㎞。左の本格派投手として将来を期待する声もある
「ショックが大きくて、しばらく引きずっていました。今もまだ少しだけどこか…」
正直に打ち明ける中木を、新たな境地へと導いているのは中原総監督(=下写真)だ。従来の抑え投手と一塁手という役割に加え、最近は多くの試合でセンターを守らせている。
「中木はファイターで足もあるので、どうかなと思って(センターを)やらせてみたんですけど、もう外せなくなってきてますね。左中間、右中間の打球も捕りまくってくれるんですよ」
二大メジャーの全国大会への道は閉ざされたが、ポップアスリートカップの予選は勝ち続けている。NPBジュニア(年末に12球団トーナメント開催)という個人の夢もある。
「世界を代表する大谷翔平選手(ドジャース)のような、ピッャーでもバッターでもすごくてチームから頼られる選手になりたいです」
通算本塁打は50本にリーチをかけており、この6月に入って自動計測された球速は107㎞だった。
「6年生のうちにホームランは75本、球速は115㎞までいきたいです」
野球人生が学童で終わることはないだろう。人生も野球だけで決まるものではないだろう。「最後のアウト」を決めるのは中木自身。ファイティングポーズを取り続ける限り、みんなが手放しで応援くれるはずだ。
「相変わらず、サク越えも連発で球も速いし、ポテンシャルがものすごく高い。みんなと勝ちたいんやなという思いを最近はより一層、中木から強く感じています。何とか、県外の上の舞台にみんなを上げてやりたい。ボクもその覚悟でやっています」(中原総監督)
(動画&写真&文=大久保克哉)